由緒

千手寺の歴史

千手寺のはじまり

寺伝によれば大同二年(807年)、弘法大師・空海によって開創されたと伝えられています。

遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を伝授された大師が帰国に際し、本国に向かって「独鈷(とっこ)」を天に投げたところ白雲を引いて飛び去ったとい います。

帰国後その行方を奈良の春日神社にうかがい「丹波国佐伯の庄山内村の北峰、娑婆山の松の枝にかかっている」との神託により、白鹿に導か れて、弘法大師がこの地に来られたといわれています。

「獨鈷抛山」の由来

弘法大師が独鈷を投げたことから、「獨鈷抛山(とこなげさん)」と呼ばれるようになったと伝えられています。

現在も「とこなげ山」の名で親しまれ、千手寺の山号となっています。

「千手寺」の名前の由来

弘法大師が白鹿に導かれ、この地に来られたことから、この地は「鹿谷(ろくや)」と呼ばれ、山号を「獨鈷抛山」といいます。

十一面千手観音坐像(大師一刀三礼の作)を安置していることから、寺号を「千手寺」といいます。

宗派の変遷

創建後、藤原時代に一度焼失したと伝えられています。その後、建長寺の止菴和尚によって復興され、臨済宗になりました。

その後、天正五年(1577年)に兵火に遭い、大半が焼失しましたが、妙心寺の禅岩和尚によって再興され、現在は臨済宗妙心寺派に属しています。

現在の千手寺

現在の千手寺は、臨済宗妙心寺派の寺院として、「とこなげ山」の名とともに地域の人々に親しまれています。

また、十一面千手観音をお祀りし、古くから眼病に霊験あらたかな寺としても信仰を集めてきました。


昔、霊場に夜毎怪しい光が現れるのを見た猟師が狐狸の仕業と思い、弓で射たところ確かな手応えを感じ、翌朝血の痕をたどると千手観音像 の左目に矢が刺さっていたといいます。

殺生の罪を悔いた猟師は末代弓矢を持たないと誓ったことから、眼病に霊験あらたかな観音さまとして親しまれるようになりました。境内から湧き出る水 は「お香水」といい、眼を洗うと眼病が治るとされています。